にんにく卵黄は南九州地方で生まれ、伝統食として受け継がれてきた。そして1990年代の初め頃からサプリメントとして広く知られるようになった歴史を持ちます。
発祥は南九州、薩摩
にんにく卵黄の歴史を明確に示す資料はありません。しかし、南九州地方、特に薩摩(現鹿児島)の伝統的な滋養強壮食品、民間療法薬として利用されてきたことから、一般的には南九州がにんにく卵黄の発祥の地と認識されているようです。
薩摩の伝統食には黒酢や黒砂糖、かつおせんじ、黒豚、薩摩芋など健康価値が高いものが多くあります。
薩摩は江戸時代から当時としてはかなり珍しく豚肉を食べるなど独特の食文化を持っていました。豚肉も強力な健康食です。
薩摩隼人というと血気盛んなイメージがありますが、その元気の源は食にあることを彼らは理解していて、健康食への意識が高かったのではないでしょうか。
卵黄油(卵油)は古くから広く知られていた
一方、財団法人田子町にんにく国際交流協会の資料ではにんにく卵黄は「北九州の伝統料理」という記述があることから、南九州だけでなく九州全域もしくは他の地域でもにんにく卵黄が存在していた可能性もあります。
その可能性を否定できないのは、にんにく卵黄によく似た健康食品の卵黄油(卵油)自体は古くから広く知られていたからです。
卵黄油(卵油)の歴史は非常に古く、奈良時代には既に食されていたとも言われています。
子供を55人作ったと言われる江戸時代の11代将軍・徳川家斉は卵黄油(卵油)を愛用したことで知られ、戦前の医療本のベストセラーである「赤本」にも卵黄油(卵油)が紹介されています。
このように卵黄油(卵油)が広く知られていたことから、滋養強壮効果を高めるために更にそこにニンニクを合わせるという手法がどの地域で考えられても不思議ではありません。
ただし、九州以外の地域でにんにく卵黄を作っていたという話しは一切ないので、九州の伝統食であることは間違い無いようです。
1990年頃からにんにく卵黄というサプリメントが全国的に広まった
にんにく卵黄が全国的に知られるようになったのは「にんにく卵黄」というサプリメントが販売されてからです。
元々「にんにく卵黄」という名称は存在していなかったと言われます。
このネーミングは熊本県にある株式会社サン・プロジェクトという企業がにんにく卵黄のサプリメントを開発した際に付けられた名称とのことです。
にんにく卵黄のサプリメントが最初に売り出されたのは1990年代の初頭で、その後、様々な企業で同様のサプリメントが販売され、2000年頃には50億円以上の売上規模になるまでに広まりました。
これは各企業が大々的に宣伝を行ったせいもありますが、この時期は大きな健康ブームがあったのも一因と思われます。
こうして「にんにく卵黄」は誰もが知る健康食品となったわけです。